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堀辺正史の「喧嘩芸 骨法」

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80~90年代の格闘技ブームの時に
アントニオ猪木も学んだ格闘技として脚光を浴びた「骨法」
創始者の”堀辺正史”は、堀辺家に古くから伝わる独自の拳法を
喧嘩や他流試合の経験から改良し、「骨法」として世に広めました。
父親は東條英機のボディーガードを務めたというすごい人物。

本の中身は、喧嘩に明け暮れた少年時代
ヤクザや過激派との死闘や、ボクシング、中国拳法との他流試合など
堀辺さんの武勇伝が大半で、たまに技を解説した写真が挟んであります。

「骨法」は日本古来の古武術だそうですが
むかしの日本の武術は人を殺すための術であったことが
技を見るだけで一目瞭然ですね。
ヒョードルのサンボやグレイシー柔術の元となった
日本の武道の精神の代表的な存在である「柔道」も
前身の「柔術」は投げた相手を短剣で刺し殺す術でした。

骨法を創成したのは
奈良時代に万葉集を編纂した大伴家持の甥「大伴古麻呂」
彼が敵の兵士に囲まれた時に、鎧の上から手をかざしただけで
倒したという話を祖父から聞かされ、堀辺少年は骨法に興味を持ちます。
そして後年、筑波山に篭もって再現したのが「透し」という技。
古麻呂が死んだ後、骨法は民衆によって神格化されたため
中国から伝わった武術であると敵方の権力者にウソ情報を流され
歴史の表舞台から抹消されてしまいます。
長い年月がたち、密かに脈々と受け継がれていた骨法は
中興の祖「源義光」によって、関節技や医療技術(骨法医術)が加えられ
極真空手のように拳や足を堅くする鍛練法も取り入れられた。
(源義光は、源氏の礎を築いた伝説の人物「源義家」の弟)
いろんな流派があるようですが、堀江さんの骨法は
源義光十世の孫、室町幕府侍所別当「佐竹義篤」の第4子・乙王丸を始祖とし
一子相伝で秘密裡に伝承されてきました。父親が51代目。
4歳年上の兄は勉強が得意なタイプだったので
弟の正史少年が一子相伝の対象となりました。
極真の大山総裁は、宮本武蔵の「五輪書」の影響を受けたことで有名ですが
堀辺さんは、橋本左内の「啓発録」や佐久間象山の影響を受けています。


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堀辺正史 15歳のころ
「喧嘩芸骨法」 二見書房より

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鎧をつけた相手をも倒したという伝説の技「透し」
「喧嘩芸骨法」 二見書房より


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タグ:堀辺正史 骨法
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